当寺について


ご挨拶

成道寺にお越しくださり、ありがとうございます。当寺はお釈迦様が菩提樹の下で成道(悟りを開くこと)されたことにちなんだ名を持つ寺院です。

どなたでも気軽に立ち寄れる、地域に開かれたお寺を目指しております。法要・葬儀・法事のご相談はもちろん、日常の悩みや心のよりどころとしてもどうぞご利用ください。

寺院概要

山号・寺号 久遠山 成道寺(じょうどうじ)
宗派 曹洞宗
本寺 常楽院(藤枝市)
本尊 釈迦牟尼佛(脇立:迦葉尊者・阿難尊者)
創建 文保元年(1317年)
住職 二十八世 真浄一也(伊久美 一也)
所在地 静岡県焼津市一色460
電話 054-624-6060
受付時間 9:00〜17:00(年中無休)

歴史

創建——文保元年(1317年)から

成道寺の歴史は、文保元年(1317年)にまで遡ります。当時は「光源寺」という名で、臨済宗のお寺として創建されました。現在から数えると、約七百年の歴史を持つことになります。

開基(お寺を支えた施主)は、武田家の老将・秋山伯耆守信友(晴近)です。美濃国岩村城主として知られ、天正三年(1575年)十一月二十日に織田信長によってその生涯を閉じました。法名を「三空院殿即住浄国大居士」といいます。

開山のこと——旅の途中の出会いが、お寺を変えた

成道寺(曹洞宗)の開山は、一人の和尚の偶然の出会いから始まります。

室町時代の末、超翁禅越という和尚が梅林院へと向かう旅の途中、常楽院四世・月洲周隣和尚と出会いました。その出会いは超翁の心を深く動かし、彼は月洲和尚を師と仰いで曹洞禅の修行に入り、やがて法を嗣ぐ(嗣法)に至ります。

帰山した超翁は、檀家の方々と話し合いを重ねました。「このお寺を臨済宗から曹洞宗に改めたい。そして開山は、師である月洲周隣和尚にお譲りしたい」と。檀家の賛同を得て、永禄十年(1567年)、成道寺は曹洞宗のお寺として中興されます。寺号も「光源寺」から「成道寺」へと改められました。

月洲周隣和尚は永禄十二年(1569年)一月十八日に示寂。超翁禅越和尚は師への深い感謝と敬意から、開山の名を師に譲りました。これを「譲功開山」または「勧請開山」といいます。実際に寺を開いた和尚は「開闢開山」または「開闢始祖」と尊称されます。

超翁禅越和尚は開創からわずか五年、元亀二年(1571年)三月一日に示寂されました。成道寺では今も毎年三月一日に、開闢始祖の開山忌を修しています。

幾度もの災害と、そのたびの再建

成道寺の歴史は、災害との闘いの歴史でもあります。

永禄年間(1558〜70年頃)、武田の兵火によって消失。開基が武田の重臣でありながら、その武田の兵火によってお寺が焼かれるという、歴史の皮肉がここにあります。

正保年間(1644〜48年)、火災に遭います。六世・梁岱大和尚が七堂伽藍の整備を志し、十世・問禅和尚が正徳三年(1713年)に諸堂を完成させました。問禅和尚は「重興」として今も仰がれています。

宝永四年(1707年)、東海・南海の連動型巨大地震(宝永地震)によって大破。翌月には富士山の宝永噴火まで起きた激動の年でした。

そして安政元年(1854年)十一月四日。当時の記録にはこう書かれています。

「海内未聞の大地震、本堂大破、山門、鐘楼、禅堂、庫裡、方丈・東司、右六カ所皆潰」

翌安政二年(1855年)、まず生活に必須な建物が再建されますが、お寺の完全な復興には二十世・大能和尚、天外和尚、大乗和尚の三代にわたる三十三年の歳月と、莫大な資金と労力が必要でした。明治十九年(1886年)十月、ようやく旧態に復することができましたが、鐘楼・禅堂・衆寮の再建は遂にかないませんでした。

修行道場として——永平寺五十世を輩出

江戸時代、成道寺は修行僧(雲衲)の養成に力を注ぎました。十二世・迪宗和尚は、永平寺五十世住持・玄透即中禅師(1729〜1807年)の初会において立身し、首座として修行を率いました。道元禅師の教えへの回帰を推進した曹洞宗の重要な高僧と、成道寺は深い縁で結ばれています。

嘉永二年(1849年)十二月十二日には、二十世・大能和尚の時に「随意会地」の資格を得ました。これは三年に一度、江湖会(結制・安居)を開催できる修行道場としての格式を公式に認められたものです。当時、駿河国で最初の法幢地として寺格が進んだことでもありました。

薬師堂のこと——廃仏毀釈の波を越えて

明治維新後、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた時代、周辺の真言宗・法楽寺と新福寺が相次いで廃寺となりました。成道寺は法楽寺の阿弥陀堂を買い受け、新福寺のご本尊・薬師如来像(弘法大師の作と伝わる)を迎え入れ、薬師堂として建立しました。

失われゆく仏様と建物を静かに引き受け、守り続ける——それが成道寺の選んだ道でした。なお、法楽寺はかつての地域の苗字「法月(ほうげつ)」の由来となったお寺です。

地蔵の泉——父の祈りが湧き出る水

お寺の裏手に、「地蔵の泉」と名付けられた泉があります。昭和四十一年(1966年)七月三日の竣工。今も絶えることなく水が湧き続けています。

この泉には、一人の父親の深い愛と祈りが込められています。増田哲夫さんは、幼い頃から心臓を患いながらも懸命に生き、中学の課程を終えた後、十六歳でその短い生涯を閉じました。父はその悲しみの中で思いつきます。「成道寺に掘り抜き井戸を掘り、そこから湧き出る水を哲夫の身代わりとして社会に奉仕させ、菩提を弔いたい」と。

息子の代わりに、水が人々の役に立つように——。その祈りが、今も地の底から清らかな水として湧き出ています。

参考:『成道寺650年誌』(大房暁 著、昭和42年)