自己を習い、自己を忘れる——殻がやわらぐ時
道元禅師は『現成公案』の中で、「仏道をならうというは、自己をならうなり」と示されました。
仏道とは、まず自分を学ぶことだというのです。
自分はどう考え、どう反応し、どう執着するのか。坐禅の中で心を観ていると、こうした自分の癖が少しずつ見えてきます。それが「自己を習う」ということなのでしょう。
しかし、見つめ続けていると、不思議な変化が起こります。
これまで「これが自分だ」と思い込んでいた怒りや不安、考えや感情が、固定した実体ではなく、ただ現れては消えていくものとして見えてくるのです。
すると、「自分」という殻へのこだわりが少しずつやわらいできます。
これが、道元禅師の言われた「自己を忘るる」という世界への入口なのかもしれません。
それは、自分をなくしてしまうことではありません。自分を強く握りしめ続ける苦しさから、少し自由になることです。
自分にとらわれすぎない時、世界は今までより広く、静かに見えてきます。
自己を学び、自己への執着がやわらぐ。その歩みの中に、仏道の深さがあります。
合掌